ぼくのやりかた。

これまでとこれから。楽しく生きる方法や好きなこと

会社の現状。

現在、株式会社として事業を行なっている。

事業所は3カ所。

 

地域密着型小規模デイサービス

障がいデイサービス(生活介護)

居宅

 

収益の足を引っ張っている地域密着型デイサービスのテコ入れを行い、健全な運営を行う必要があるが、課題は山積み。

 

・人材不足(職員の質の問題)

・デイサービスの乱立による顧客の獲得困難

・既存の建物の利用制限

・他施設との差別化、ストロングポイントの確立・外部への周知

・資金難

 

これまでの流れを考えると、

・資金がない状態で開設に踏み切った

・職員教育の不足、低賃金での雇用

・外部施設やケアマネとの関係性構築不足など

あげればきりがない。

これにより、幾度となく運営が危ぶまれる事があった。

 

現状はというと、

昨年から人材補強を図るため、仲間を集める作業を行ってきた甲斐があり、

看護師、理学療法士の入職が決まっている。

これで、人材不足は補えるが、資金難はより一層加速する。

今後、いかに集客力のあるデイサービスにする事ができるかにかかっている。

 

障がいデイサービスと居宅に関してはまだまだ発展途上ではあるが、後回し。

 

僕の母親。

母親が起業したのは今から8年前の平成22年。

なんでも両親の面倒を看れる通所介護(デイサービス)をしたいとの事だった。

 

当時、僕はリハビリの専門学校4年で地元の整形外科の病院に就職する事になっていた。

 

母親は僕たち姉弟4人を育て、末っ子である僕に手が離れると同時に起業したのだった。

 

もともと会社起業とは程遠い母親。

高校を卒業し、地元のデパート勤務。

それから夜間の大学へ進学し父親と出会う。

26歳で結婚した母親は、子供が生まれる度に転職を繰り返し、医療事務、保険代理店、訪問介護・施設勤務となり、株式会社設立の運びとなる。

 

60歳目前で莫大な借金を抱え起業するファンキーな母親である。

 

自分史

これからとこれまで、現在と今後、記憶に残ったエピソードを書き残していきたいと思います。

 

熊本在住30歳。

これまでの経緯を少し

 

22歳 専門学校を卒業、地元の病院へ就職。

25歳 地元の病院を退職。

        ハンターカブを購入し、日本縦断。

        復路の大阪で足の痺れ発症にて帰還。

        (再度、大阪からやり直す予定)

        カメラマンとしてフリーランスでの活動、

        福祉施設での非常勤を開始。

 

26歳 交際2ヶ月で結婚

27歳 長女誕生

         単独、南アフリカへ渡り、野生動物の

         写真を撮る。

28歳  一軒家の中古住宅を購入

         被災。

         被災後は各地を転々とし、身を潜め、

         落ち着いてから帰宅。

        自宅1階部分をテナントとして賃貸開始。

 

29歳 収益やコミュニティ地盤を築くため、

         情報収集や小規模なイベントを開催。

 

30歳 既存のものをフル活用し楽しく生きていけ

        る方法を模索中。

        母親の株式会社を継承。