ケアマネージャーになって。
昨年の10月に居宅介護支援事業所を開設し早、3ヶ月。
初めは右も左も分からず、苦戦する毎日だったが、ようやくではあるが少しずつ慣れてきた。
採算ベースにはまだ遠いけど、あと半年もするとトントン位には持っていけそう。
僕が開設している市は人口6万人ほど。高齢化率はざっと30%
同市の居宅介護支援事業所は26箇所ほどあって、顧客を獲得するのには苦戦するかなぁ。と思っていたけど、実際のところそんな事は無さそう。
ちらほら閉鎖を余儀なくされている所もあるし、ケアマネージャー自身も中高年者が多く、登録人数が減っている所もある。
おかげさまで、営業などの周知活動も全く行っていないのに関わらず、毎月数件の紹介を頂いている。
居宅介護支援事業所(以下、居宅)は在宅生活を送ってる高齢者のマネージメントをする仕事で
ケアマネになるためには資格を得る事が必要になる。
医療介護関連の基礎資格を持ち、勤務年数が5年以上でかつ、合格率10%程度。
なかなかの難関試験を突破しないと行けない。
かつ、給料は高いとは言い難い。ケアマネに転職すると夜勤手当等もなくなり給料が下がる場合だって当たり前にある。
ほかにも要因はあるだろうけど。
今後、同市の居宅が増える事も考えにくいし、人数だって増えるとは言い難い。
むしろ減る可能性が高い。
まだまだ高齢者は増え続け、ニーズが高まる事は間違い事実であろう。
今後の目標の一つとして、同世代のケアマネの受け皿に慣れるような事業所を目指してやっていきたいと思ってる。
Googleのオフィスみたいな所作って仕事したい。
僕の経営メソッド
気づけば11月。
日に日に気温が下がり、朝晩は寒くなってきました。
会社の継承を行なって半年が過ぎた。
今は新設の施設の建築工事が始まり、ようやく形になってきたな。と実感しています。
ハード面はもちろん大切だけど、一番大切なのはソフト面。
特に働く人材なのは明白。
僕の事を理解してくれる仲間が6名に増え、毎日充実した日々を過ごせています。
仕事に関しては何をやるか。よりも、誰とやるか。の方が、やりがいや幸福度は高い気がします。
こんな片田舎にわざわざ来てくれて働いてくれる仲間たちへの恩返しをするべく。更なる高みを目指して行きたいと思います。
この6人の仲間たちが何故、一緒に仕事ができるようになったからを振り返ってみると
趣味や興味の分野が広いこと。
何にでも顔を出してきた事。
仕事の幅や場所、内容を広げていたこと。
様々なチャンネルを開いて動いていた結果、
声かけてを行なったタイミングで運良く来てくれている様な気がします。
今後はさらにチャンネルを広げれる様、
楽しみながら先を見据えて行きたいと思います。
最近の出来事。
今日は8月26日。
朝晩は涼しくなり秋の気配が近づいてきてる。
今年の夏ももう終わりか。
とふと思う。
今年の夏は早かった。
あっという間に過ぎていった。
遡る事、7月中旬の出来事。
僕の31歳の誕生日の日、次女からの連絡が来る。
「私、会社辞めるから。」と。
いきなりの右ストレートに面食らう。
次女は6年前の2013年。会社に入社した。
初めはデイサービスの看護師として働いてた。
ケアマネージャーの資格を持っており、入社数ヶ月後には居宅介護支援事業所を立ち上げ、一人で切り盛りしていた。
立ち上げてから程なく、担当者数は上限一杯で収益も安定していた。
ただ、親の会社。一人事業所。
自分の判断、裁量で好きな様にできる環境は誰の目も届かないため、気づいた頃には歯止めが効かない所まで行っていた様だ。
困った事に、自分の仕事が順調で安定した収益を口実に許容範囲外の様々な要望を訴えていた。
うちの会社の様に規模が小さい組織において、
特に介護のデイサービスでは顧客獲得は難しい。近隣には、母体が医療法人や社会福祉法人といった、規模が大きく、充実したソフト面、ハード面を兼ね備えている組織があり、どうあがいても敵わない。
そんな中、ケアマネージャーの事業所があるという事にはメリットは凄まじく、事業全体の周知を他事業へ宣伝できるし、利用者へデイサービスを誘導する事もできる。
小規模の弱小デイサービス単体では顧客獲得が難しい。
居宅介護支援事業者がある事で、デイサービスの利益貢献には一躍をかっていたことは間違いない事実であった。
ただ、その反面、次女は自分の正しいと思った事は貫き通す節があり、時に、社長や他の従業員への当たりが強い事が度々見られていた。
社長はともかく、他の従業員はたまったもんじゃない。これまでに数えるだけで片手では足りないほど辞めていく人達を目の当たりにしていた。
次女の過去の話を挙げるとキリがないため割愛するが、今回はこれまでに渡って類を見ないほどの暴挙だった。
僕は幸いにして昨年ケアマネージャーの資格を持っていたため、次女が辞めた後に事業所を引き継ぐ事は可能であった。
これがさらなる悲劇を生む形となった。
続く。
僕の母親その2
平成22年より介護保険のデイサービスを創業し、平成26年にはケアマネの居宅、平成27年には障がいの生活介護を作る。
時系列としては、会社設立後、看護師である三女が会社に加わり、デイサービスの運営を行う。
平成26年、看護師兼ケアマネジャーである姉と僕が会社に入り、程なく居宅を立ち上げる。
デイサービスで管理者をしている三女を身ごもり、産休に入ると、僕が管理者となり、デイサービスを運営する。
三女の職場復帰と同時に障がいの生活介護を立ち上げる。
居宅は次女単独での運営のため、はじめこそ伸び悩んでいたが、開設以降は常に好調を維持している。
2つの通所サービスは人材不足や教育不足でイマイチ伸び悩んでいる。
この課題をどう捉えるかだが。
僕の母親は生粋の種まき職人ではないのか。
という結論に行き着いた。
新規事業や新しい事をするのは大好物だか、
事業を立ち上げ、進むにつれてて、他に目がいく。
0→1への能力は高いが、1→2や1→10といった
次のフェーズを担うことができていない。
このため、次々に事業展開を行うも、伸び悩んでいる。
さらに、人を動かすことや任せることが苦手で
自分でしてしまわないと気が済まない性格である。
この特徴を活かし、今後は種まきに徹して、残りをサポートする形をとることで長所を活かし、短所をフォロー出来れば会社は上手くいくと、確信した。
ただ、僕自身も母親の遺伝子を受け継いでおり、種まき気質である事は否定できない。
仲間作り
以前の職員募集はハローワークがほとんどを占めていた。
幸い、求人を出すと問い合わせや見学が数件あり、人手不足ではあったが、どうにか運営は行えていた。
短時間の面接だけでは本人の能力や適性を見抜くことは困難のため、ある程度会社の説明や見学を済ませ、入社の希望がある場合はほとんどの人を採用していた。
これまでの社員を振り返ると、入社してすぐ辞める人が3割、1年以内に辞める人が4割、継続して働いている人が3割程度となる。
野球の打者ならば、まずまずの打率であろうが、数をこなせば雇用手続き業務は増してくるし、そもそも玉数もそんなに多い地域だとも言えないので、のうのうと問い合わせ待つスタイルを辞め、人材を見つけ出すべく動き出した。
仲間づくりの根本となった出来事として、
「荒地ワークショップを開催し整地する」
というイベントを企画した時の体験がある。
主催者からすれば、人が集まれば無償で単純労働をしてもらえる。願ったり叶ったりの企画である。
参加者からすれば、タダで肉体労働を強いる
クソみたいなイベントである。
結果、イベントは参加者30名ほど集まり、みんな笑顔で帰っていった。盛況であった。
自分の土地ですらしたくもない作業を他人の土地、ましてや無償でする人達。
嬉しい誤算であった。
作業一つ一つが単純であったため、参加者それぞれが自分にできることを自然と行い、
参加者同士のコミュニケーションが生まれ、時には競争めいた動きとなり、このような結果が生まれた。
きつくて、単純な嫌な作業ですら
コミュニケーションが良好であれば楽しい作業にガラリと変わる。
また、誰もが嫌がるようなイベントに参加してくれるパーソナリティーをもったひとなら尚更のこと。
この事象を当てはめた上に
・知り合いの医療介護福祉従事者
・居住地より車で1時間圏内
・同世代(25-40歳)
の人を中心に狙いを定めた。
普段から飲み会やイベント、仕事で多種多様な人たちと出会う機会があるため、その中からめぼしい人に声をかけ続け、現在では2名の新入社員が働いてくれている。
ハローワークの求人と違い、最初からある程度のパーソナリティーと能力がわかるし、コミュニケーションも取ることで出来、社内の雰囲気はガラッと変わっていった。
仲間集めは現在でも継続して行っており、年内にあと2名ほど一緒に働いてくれるようになっている。
会社継承の動機
今から2年ほど前の事、自分一人での限界を感じた。
僕の収入はリハビリの仕事(常勤・非常勤)
と写真の仕事。これを合わせると年収500万ほど。
これに不動産賃貸収入の200万を加えて700万。
同世代の水準と比べるとまずまずの数値だと我ながら感心していた。
しかしながら、現状では余暇時間をほぼ仕事に割いていたため、収入をこれ以上増やす事はほぼ無理に等しく頭打ち状態であった。
将来的(5-10年後)の計画で多拠点生活、好きなものに囲まれた生活(クルマ・バイク・動物)
を実現したい僕にとってはまだまだ足りない。
最低でも1000万。最終目標としては2000万ほどないと実現不可能な数値である。
では、この目標を達成させる為に自分のリソースを駆使して出来る事とは...
で、出た結果がこれ。
母親の会社・父親の店の継承を行い、事業を安定させる事。
これを達成させる事が出来れば、
自分だけではなく、地域と家族・従業員といった小さいながらも自分の近くの周りのコミュニティにも還元できる。
さらに曽祖母から伝わる土地を活用することにより先祖の意志を受け継ぎ、最高の親孝行にもなるのではないか。
と考えた。
この時の会社の現状は。
・赤字ではないが収益は伸び悩んでいる。
・職員が定着せず、人材不足。
・職員の能力不足(指導者がいない・成長しない)
・経営側と労働者の意識の乖離
・資本金不足によるハード面への投資困難
まだまだ課題はあるが、キリがないのでこの辺りを一掃しなければならない。
そこで思いついたのが「仲間づくり」である。
続く。
会社の現状その2
前回のブログを書いて3ヶ月経過。
会社自体は大きくは変わっていない。
ただ、僕は4月より取締役になった。
母親が作った会社に僕が入社したのは平成24年。
その時既に、次女三女の2人が入社していた。
僕には姉が3人いる。
それぞれ3つづつ歳が離れており、長女とは9歳差。
中学生に上がる頃には全員一人暮らしを始めており自立していた。
殆ど一人っ子状態。
以降、年に何度かは顔を合わせはしたが、
この歳になってようやく姉たちの人間性や考え方を知ることになる。
家族経営の会社と検索すればいい事は1つもなくボロクソ書いてある。
内容は割愛するが、当初からこれまで殆どの項目が当てはまっているように思える。
前回の内容の課題の中にもこの家族経営であるという事が問題の本質になっているところは多々あると実感している。
この状態を打破せねばならない。
この為、姉弟の中ではヒアラルキー最下層である僕が姉たちと対等、それ以上にならなくてはいけない。
そのため、今回、取締役のポジションへ
舵を取った。
まだまだ現状は変わらない。
ただ、僕のポジションが変わった事で、
決定権を生かし、家族経営でのデメリットをメリットへと変化させていかなければならない。